お支払いの時
『もう済んでます』
え?
カッコいいなと思う体験。
私もそれを真似しようとすると、すぐにバレてしまい、その
え?がやれない事があるのです。
でもだいたい分かる事が多いのですが、昨夜珍しく飲んだオヤジさん。私がとにかく憧れるダンディオヤジさんに、久々に、そのえ?体験。
やられてしまいました🥰
私は父を63歳で亡くしています。父が55歳の時、会社の健康診断の結果が、あまりにも悪く、小さなクリニックに行っても、何も分からず、一年近くおかしいおかしい。
特に異常ないよね。安心していたのですが、いつになっても治らず。
一度総合病院に行こうよと、総合病院に行った時が、驚きの結果だったのです。
悪性リンパ腫という病気で、ステージⅣ。何もしなければ、1年持ちません。
母から話があると連絡があり、急いで実家に帰ると、姉が号泣していた姿を、今でも鮮明に覚えています。
長男として、冷静に母の話を聞いたものですが、ここから父の闘病生活が始まるのです。
父のこの時が無ければ、今の私は全く違う人間でしょうし、命の教育の始まりは、ここからだと感じています。
とにかく驚きました。あの父が、一年持たない?ステージⅣ?絶望的な言葉だったからこそ、姉の号泣。母からの家族会議。
でも一人諦めなかった人がいたんですよね。
いつも笑ってろと、一番笑顔をくれたのは父でした。
笑っている事で、免疫力は上がるから、心から笑えと。
しかし、当時まだ自費のPET検査。かなり高いお金を出して検査したものですが、もう絶望的な結果で、大きなため息で過ごした日々。
しかし泣き続ける家族に対して、ひとりだけ違ったんですよね。
笑え。
とにかく、笑え。諦めない男は、心から楽しみ続けて、同じ病棟の人達を、心から励まし続けていくのです。
笑え。
長期間の入院。学校みたいだぞって、殆どの方と仲良しとなり。あのじいさんは、夜中のいびきが、すごいから面白いぞ。あのじいさんは、いつも同じこと繰り返して面白いぞ。
もう笑いネタのオンパレード。
私達家族は絶望的なのに。
しかし、面会に行く度に、旅立たれる病院の仲間たち。それでも前向きなのは、父ひとり。
私達は、心のどこかで、もうダメだ。ステージⅣ。
しかし一人だけは、笑っていろ。必ず治して復帰する。
なんだか思い出しますね。
とにかく心から信じていた父。一度父親から、入院する前に、『ひさし、俺を連れて行って欲しい場所がある』って、まともに歩けない父を介助して、会社の会長様の自宅に行った事があるのです。
この時も、もうダメだなって。父は強いもの伝説が崩れた時でもあったのです。
きっともう誰もがダメだなって思った程、激痩せして、まともに歩けない父の姿は、息子として辛かったものです。
そして大豪邸の会長さまのご自宅で、初めて見た父の涙。
『必ず治して帰ってきます』
そうそう。思い出しますね。
そこからの闘病生活。とにかく仕事人間。会社を大きくするんだって。
そんな父が、誰よりも前向きで、誰よりものメンタルで、強くたくましくカッコよく。
そして、宣言通りの復活。完治してしまうのです。笑っていたら必ず治せると笑明した時。
その時から、毎月息子と飲もうと決めた父親。あれ程まで、家族よりも仕事と言う父親が、息子に時間を使う。
貴重な時間でした。
父との2人飲み会が始まったのです。そんな飲み会は、父が63歳で止まってしまう訳ですが、今では父の様な大きな背中の方と、飲める時間がある事が、とにかく私の貴重な時間。
65歳のそのオヤジさんと、肩を並べて3年ぶりに飲んだ時間。
嬉しかったものです。そしてまた、この人の為に。改めて想ったものです。
65歳の人生経験。これはどう真似しても、私には出来ない。経験値が無さすぎる。
だいたい分かってしまう、支払いに行く姿を、スマートにやってしまう。
勝手に父の姿と重ねてしまうオヤジが、私には3名いますが、やっぱりな共通点は、どしっと構えるどでかい貫禄。どでかい背中。
色んな経験を、まだまだ積まないとダメですね。そして、どんな時も笑っていたいものですね。
『ご馳走様でした』
なぎ