27センチがちょうどいいんですよ😊
26.5がジャストフィットなんですが、少し余裕を持たせて、27センチがちょうどいいんです。
私の靴のサイズです。
私の靴のサイズはどうでも良くて、27センチって言うのは、新聞を離してよく見える距離のこと…
以前にも書きましたが、約半年前くらい前、もう少し前からかな?
始まっている、老眼
そもそも言い方がイヤですよね…
呼び方に悪意がある…
老いている眼🤣
誰が名付けたんでしょうね。
せめて名前でも変えて欲しいものです。
頑張って来た目だから、
『頑眼』だったり
ぼやけて見えるから、
『ぼけ眼』
イヤ、それもヤダか。
老いていることには間違いないのだけど、ストレートに言われると、認めたくないし、見えにくいものでも、頑張って離さずに見てしまう。
でも、小さい頃にはそんなに思わなかった、大人が新聞を離して見る姿。
30代になった頃には、あんな姿にはなりたくないなと思っていて、自分はどこかで大丈夫、あんな姿にはならないと思っていた。
どこから来る自信かは分からないが、間違いなく、私も仲間入りをしている🤣
最近では、スーパーの袋も、開け口を開こうとしても、ツルツル滑って開けれなかったり、
紙をめくるのにも、手の水分がないので、ちゃんとめくれなくて、指をベロベロ舐めたい気持ちになる😆
あれだけは見ていてゾッとするので、やりたくないが、いつか自分もベロベロする時が来るかも…
ちゃんと進化をしていっている…
老眼のイヤなところは、とにかく近くが見えない。
あれ?
何これ! めっちゃボヤけてる!
って言うくらい、文字も、食べているものもぼやけてしまう。
近くが見えないと言えば、カルタやトランプでもそうかも知れませんね。
あれはぼやけて見えないのではなくて、近くにありすぎて見えない。
いっぱい並んでいるカルタを一生懸命に探すんだけど、『はい!』🫱
って取られたカルタは、自分の目の前のカルタ…
一生懸命に遠いところばかり見ていて、自分の目の前のことは見えていなかった。
目の前のことは見ているようで見えていないのかも知れませんね。
近くにありすぎて、その札を見落としてしまう。
目の前だからすぐ取れると思っていた、
目の前だから見えていると思っていた、
目の前だから大丈夫
自分の目の前の札がなくなって、初めて気付く、
見えていた時には見えることが当たり前だと思っていた。
目の前の札がなくなって、無くなったことに気付く。
もっと近くを大切に見ることが必要なのかもしれませんね。
もっと近くを大切に見なさい!
と老眼も始まって来るのかも知れませんね。
かわ