『お父さんがもう危ないから、今すぐ病院に来て』
11年前の今日と言う日
疲れ切った身体で、一旦病室から自宅に帰り、もしかしたら電話があるかもしれないと、床でウトウトしながら、寝たか寝てないか分からない状態。
朝4時。母親からの電話で飛び起きたこと。まだ外は真っ暗。小さい保育園の子供達2人を抱っこして、急いでチャイルドシートに乗せ、向かった総合病院。
親父は8時22分天国へ。63歳の命でした。
せがれの血でしねたら本望
9月5日の骨髄移植、前日の写真。
明日から、お前の血液になるからな。
もう喉元まで出て、どうしても言えなかったこと。もしダメな時、家族に一言伝えて欲しい。
まるでダメみたいなことは、どうしても聞けなくて。
それはケアマネをしていて、残された私たちは今後どうしたらいいか、そんな言葉を聞きたかったと言うご家族の言葉があり、私の家族の為にも、聞いておきたかったこと。
でもどうしても、聞けなかったこと。
そして翌日私が見守る中、私の血が親父の身体に流れていくのです。
思い出しますね。心臓があぶると、もがき苦しみ出したこと。辛かったですね。
でも親父のこれが本望。もがき苦しみ続けたこと。
大量の薬を入れて落ち着いた時、あんな死ぬ思いしたら、もう何も怖くないわと。
命懸けってこう言うことを言うんだなって。まだまだ自分の挑戦なんて、本当甘いなって。何こんなことで、苦しいって言ってんだよって。
毎日親父の身体が悪化していく姿を、1ヶ月見続けていくのです。みんなも乗り越え続けた日。
姉貴は毎日お父さんお父さん。心配で激痩せしてしまい、妻は毎日よっちゃんよっちゃんとマッサージに行ってくれたこと。母は常に貴方達を産んで本当良かったよと、毎日メールをくれたこと。
息子の自分に絶対困らせない様に、言い放った言葉。せがれの血でしねたら本望です。
カッコ良すぎたこと。自分の全てが小さく思えた時。
大丈夫だよ
あんなもがき苦しむ姿を見た日から、全てが大丈夫と思える様に変わったこと。
親父と思ったら、何も怖くない。例え失敗してもやり直せばいい。
自分の世界観であれば、全てに言い切れること。
後輩達にも背中を押せる。大丈夫だよ。何も怖くない。どうにでも出来る自信しか無い。
生きていることは可能性しかないのです。やり直せるなんて、最幸過ぎる贅沢だと言うこと。
この日が来ると、特にこの気持ちになる。
あの言葉が無かったら、きっと自分を責めたかもしれない。恐怖の中、2日にかけて血を抜いた日。
その日から積極的に変えたこと。とことん笑っていこう。11年前、だいふく設立丸1ヶ月の日。
11年間、この気持ちを植え付けたことで、大きく変わったこと。
親父の命の教育から、後輩のくりさん夫婦に、少しは笑顔を届けられているか分かりませんが、いつもお父様にと、毎年お供えを届けて下さる想い。
ともさんからも。
贅沢過ぎる大切な想い。父親の教えを大切にしてきたことで、こんなことをしていただけること。いつもありがとうございます。
最大に悲しんだ日
当時の私は、いつもイライラしていたこと。仕事への焦り。言うこと聞かない、子供達への不満。将来への不安。他人さんとの比較。
亡くなった親父の生き様を見た瞬間、大きく変わった日。いいじゃないか元気なら。
笑顔が大きく増えたこと。元気こそが、1番の贅沢時間。
人生悲しみの反動は、相当に大きいものでした。
母親は常に凛として、カッコ良かった姿。火葬される前に、そんな母に言ったのです。
いいの?キスしなくて。『いいわもう😆』あの時の笑顔は今でも鮮明に覚えている。
みんな通る道
この年齢になると、親の体調が悪いと言う話が増えてきたこと。
みんなも必ず通る道。少し早く私は経験してしまったこと。
最大の悲しい経験をしたからこそ、悲しみにとことん寄り添える。
そんな日を経験する、11年前のまさにこの時間、みんなが病院に到着した頃。
1人の大き過ぎた存在。
今、周囲の大き過ぎる存在。
生きていること。当たり前じゃないなと、毎年教えられる今日と言う日。『いつもありがとう』改めて、そんなことばかり想える日。
朝晩は涼しくなり、親父との約束を果たした、あの日を思い出す季節。
『いつもありがとうございます』生きたくても、生きられなかった方が沢山います。
今年も残り3ヶ月ですね。
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
親父の63歳の命
超えられたら
ラッキーだな(´∀`)
なぎ