私が中学生、高校生の頃は、まだまだ昔の教え方が残っており、今では、必ずニュースになりそうな、愛の鞭と言う、教育だった。
中学生の頃はひどくて、先生からではなく、先輩からの指導で、野球部だったので、ケツバットと言う、今では信じられないが、野球のバットで、お尻を思いっきり叩かれる。
普通なら、ミスをしたり、悪いことをしたから受けるものだろうが、その時代はただ、ただ先輩のストレス発散や受け継がれてきた、伝統のようなもので、叩かれていたように思う。
中学生の頃に受けたものは、ただの暴力にしか感じられなかった。
高校生の頃は先輩からも、先生からも暴力を受けることはなかったが、まだまだ指導の中に手をあげることはあった。
でも、野球部の先生は、今でも思い出すと背筋が伸びるのだが、めちゃめちゃ怖くて、学校であっても、ビシッと止まって、挨拶をしていましたね。
試合なんかの時は、『ま”〜』と言う、どすのきいた声で、怒りをあらわすんですが、思い出すと今でもその時の顔が思い出されます。
怖かったのですが、手をあげる先生ではなかったのです。
でも、そんな監督が、一度だけ手をあげられた時があったんです。
あれは私が高校2年生の時でした。
3年生の最後の夏の大会が終わって、3年生がいなくなって、2年生率いる新しいチームが始まる時でした。
3年生が夏の大会に負けて、みんなの気持ちも落ち込んでいて、練習に活気がなかった時、
何を言ったかは覚えてないですが、やる気のない発言をしたんです。
そしたら、持っていたセカンドバックを投げられて、それからは愛の鞭の連続です…
普段は手をあげる先生ではなかったので、本当に驚きましたし、怒らせたらこんなことになるんだって、思いましたね。
今思うと、野球部の先生が、私たちを指導していた時が、今の自分とそう変わらないと思うんです。
小さい子供が、3人いて、充先輩と言う、今では大社長になっている、私より2つ上の先輩を、自分の家で、高校3年間下宿させるほどの、人情味があって、器が大きい先生。
そんな先生が、手をあげてでも教えてあげたかったこと。
殴られる手から想いが伝わってくる、まさに愛の鞭でしたね。
今ではどんな時でも暴力となるので、ダメなことですが、自分が感じた痛みは、愛の鞭でしたね。
大切なことを教えたい!
間違っていることに気付け!
そんな思いだったんだと思います。
なので、今でも何かあると、先生から受けた愛の鞭を思い出すんですよね。
手をあげるのでも、ただ叩くのと、気持ちが伝わってくる、分かってほしいって言う、思いが乗った叩くのでは、全然違うと思う。
かわ