こんにちは!
支援センターしょうわの水下(じゅんじゅん)です!
主任ケアマネ研修が、いよいよ演習パートに入り泣きべそかいておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
なぜあんなにも立派なケアマネさんばかりなのか、自分はポンコツ枠で入れられたんじゃなかろうかと思ってしまう程、レベルが違います。レベチです。
さて、本日は8月9日。
長崎県民にとっては特別な日。
そう、長崎に原爆が投下された日です。
私の実家は市内ですが、割と外れの方だったので被爆はせず、影響はほぼなかったと祖父母より聞いた思い出があります。
今はどうか知りませんが、私が小学生の時「平和学習」というのがありまして、そこで原爆のことを学ぶんですね。
どれくらい被害があったか、どれくらい悲惨だったのかを授業で聞くわけです。
語り部と言われる、実際に被爆された方の話を体育館で聞くこともありました。
更に被爆直後の街の様子の写真や、被爆して火傷した方の写真も学校に展示されてました。
低学年の子の中には写真を見て泣き出す子もいて、小学生にはなかなかショッキングというか、インパクト強かったですね。
私も怖くて、展示されている場所は目を伏せて通ったり、走って通り過ぎるようにしていました。
夏休みの宿題に「平和の祈りを書きましょう」というものがあって、鳩の型紙に平和についての思いを書くんです。
この宿題は、自分だけじゃなくて親にも書いてもらうんですが、母親に書いてもらった時のこと。
母が何を書いたのかは覚えていませんが、平和への願いを書いているのを見て
「あぁ、お母さんも僕と同じようなことを考えているんだ。」
と感じたことは、非常に印象に残っています。
小学生からすれば、親なんて一番身近な大人であるんだけども、自分たちとは違う「大人」ということを感じる存在。
そんな「大人」が、子どもの自分と同じようなことを考えている、と知ったあの時。
嬉しいような、くすぐったいような不思議な感覚。
あの日に鳩の型紙を通して、感じることができた平和という言葉の力。血の繋がり。人間の優しさ。
核が落ちたのは日本だけ。
世界初の被爆地が広島。
世界最後の被爆地が長崎。
長崎が世界で最後の被爆地である為には、世界が平和であること。それはとても大変なこと。
ロシアとウクライナの争いは治まる様子もなく、世界平和とは言えない状況になって、尚更そう感じます。
それでも、だからこそ、8月6日と8月9日は、平和について考える。