さむっ。
鹿児島最終日
鹿児島は日本では南の方にあるので、雪とは縁遠い土地かなと思っていましたが、何と雪化粧の桜島🗻
そりゃぁ寒いわけです。
ビジネスホテルに泊まると、いつもエアコンをどうしようか、迷うんですよね。
エアコンを消して寝ると、当然寒くなる。
ビジネスホテルの布団は薄い掛け布団しかないので、風邪をひいてしまうのでないかと心配になる。
と思い、今度はエアコンを付けて寝ると、起きると決まって、喉が痛い🤣
温かいのはいいのだが、乾燥が酷くて、必ずと言っていいほど喉が痛くなる
なので、いつも迷う。
昨日も、消して寝たら寒くて起きて、付けて寝たら、朝喉が痛い😭
いつも迷う私です。
鹿児島と言えばここ
知覧に行って来ました!
ここに来るのは人生で3回目かな。
何度来ても、やっぱりここに来たくなる。
鹿児島に来たら、必ずここに来ては、今の生活を改めて、当たり前ではなく、ご先祖様が苦難を乗り越えて来たからこそ、私たちの今の生活があるんだと、感じ、考えさせられる。
第二次世界大戦の終戦間近、日本は戦力がなくなってきて、敵に大きな打撃を与えたい、窮地に立たされた日本が考えた作戦が、戦闘機ごと、敵艦隊へ突っ込む作戦。
当然操縦士は死んでしまう。
とんでもない作戦ですが、その当時は、日本国、国のために死なるのであれば、誇り高きことなんだと、教えられ出来たんでしょうね。
平和会館に行く道の両脇に、灯ろうがあるのですが、神風特攻隊で、亡くなられた人の数と同じ数の灯ろうが並んでいるんだそうです。
その数なんと439
439人もの若者が、知覧から飛び立ち、帰らぬ人となったんです。
特攻隊で亡くなられた方の年齢は17才から32才、平均年齢が21才
21才の時に、お国のために、自分の命をかけていたんです。
今から100年くらいしか経っていないのに、そんな時代があったんです。
平和会館には、特攻作戦で飛び立つ前に、家族に宛てた手紙や、婚約者に宛てた手紙
遺書や、絶筆などが展示されていて
様々な人を大切に思い、最後の言葉を必死につづっている手紙ばかりでした。
100年も経っていない過去に、このようなことがあったとは、信じられません。目の前にあるひとつひとつの事実に向き合うことは、胸が締め付けられる思いでした。
今も、ウクライナとロシアの戦争が毎日のように報道されていて、罪のない子供や女性、男性が亡くなったり、殺されたり
でも、どこか現実のことではない感覚がある。
それは自分の身に起きてないからなんだと思う。
でも、現実に起きていること
今の日本は平和であることが当たり前のようになっているけど、いつ日本も攻撃されるか分からない。
平和は自分達で作るもの
神風特攻隊の歴史を知ることは、今の私たちを見つめなおすきっかけにもなりました。
平和を願って亡くなった多くの方の思いを知ること
過去を学び今の幸せを知り、未来に平和を祈りましょう🙏
かわ