こんやろー💢
息子と大喧嘩。
と言うのは冗談で😊、家に帰ると息子が嬉しそうに布団を持って、下に降りてくるところにただいま。
その布団に、植物をひっかけてパリン。この植物は、子供達が階段にすぐ物を置く為敢えて置いている。お見事効果絶大アイテム😆
そんな作り物の植物がパリン。
咄嗟に出てきた言葉は何やっとるの。
その言葉を口にした時に、ふと自分が最低だなと思えたのです。
車の事故の時、その人の本心が分かる瞬間。ごめーんぶつけちゃった。そんな時に仲間達はいつも咄嗟に『身体は大丈夫か?』
そう伝える。大切な車より先に、大切な相手の事を心配する。当然な事。振り返るとぶつけたと言う経験は何度もある。ごめんぶつけた。咄嗟に思った事。
車大丈夫か?
く、くるま?でも私の心の本心は修理代がチラついた事も確実にあったのです。相手の身体よりも車を心配。
花瓶が倒れるその瞬間を見ていて、あーっ!パリン。身体怪我ないか?
そんな事が咄嗟に言いたかったなぁと。
その瞬間、昔をふと思い出したのです。秋田の父の実家に毎年帰っていた時の事。息子と同じ頃の自分が糸でコマを回す遊びをしていたのです。
その時にコマが飛んでしまって、ガラス扉を割ってしまったのです。割れた音で叔母さんが飛んできて、久志身体怪我ないか?
割れたガラスよりもまずは自分の身体を見てくれた叔母さんの行動がとにかく嬉しかったのです。今でも覚えている。
ごめんなさい。大丈夫よ。こんなの割れるものだから。そこで私は泣かずにその日楽しく過ごせたのです。
昨日の私と言えば、息子は落ち込み泣いていたのです。
その後、娘がパピーこれって。
なになに。おー。チチの日!まだ捨てたものじゃないなと、大きな優しさを感じたものです。優しさに触れながら、いかんかったなぁと。泣いている息子に、ボンドでくっついた花瓶を見て直ったよー。うん。
今更遅いのですが、怪我ないかー?うん。その後は普通に会話をして、息子も元気に話をしてくれましたが、ちょうど息子くらいのあの日の自分と照らし合わせたもの。
やりたくてやった訳じゃないのです。悪意がある行為なのかそうじゃないのか。起きた事に対して、どう相手を見てあげられるか。
器の違い。
まだまだ器が小さい。起こった事に怒った事。おっこった器が割れた時、怒った自分。大きな器は割れて小さな器へと。結構頭使った割にセンスもない🥲
相手の痛みが分からないなんて、まだまだだなと落ち込んだ息子から教えられる。
割れた小さな器達をボンドでくっつけゴムで固定。元の大きな器へと。
器は例え小さくても、こうやってひとつ一つ感じた事を繋げていき、見た目は不細工かもしれませんが、それが自分らしさで、そんな大きな器になりたいものです。
本日も心わくわく🫶いってらっしゃいませ✊
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なぎ