夜中ほんごうで準備。
ついに見れた十年大福。
継続する力
会社の生存率は起業して、3年で65%、10年で6・3%、20年で0・39%、30年経つと0・025%、といわれています。
なおきもよく言っていたこと。
業界によって全く違うとは思うのですが、まず目指した10年生存率は、厳しいデータだったこと。
なおきと出逢った頃、もうすぐで10周年なんだと。やはり特別だなと。まずはみんなにとっても大きな通過点だったのです。
なべちゃんもそう。みんなが祝ってくれたと、仲間達にとっても大切な日。
大切にしている言葉
単独居宅をスタートした時に、サプライズパーティーで、サプライズな手紙で感動したこと。
大きく成長させながら継続して行くことに意義がある。
これが最後の手紙。
何もしなければ、余命1年と告げられた父親が、笑顔で癌を見事やっつけて復活してから始まった親父と息子のカウンター時間。
そして毎年息子の誕生日会をマメにやってくださった親父。
最後の誕生日会での手紙。
ちなみに、私の座右の銘は。。。
仕事極めれば遊びとなり、遊び極まれば仕事となる。
この言葉が大好きで実践しています。
自分の仕事で愚痴ばかり出てる様では、まだ楽しいと思える遊びの域に入ってない証拠。
寝食忘れて熱中する事が出来る仕事や仲間が居る事に感謝を忘れないで生きて行って下さい。
学び続けた仕事の流儀
55歳。悪性リンパ腫ステージⅣ。1年と言う余命宣告を告げられた親父。
笑顔の力を常に教えて下さったのです。
そして復活して、63歳で亡くなるまでの8年間、親子2人で毎月カウンターで飲んだ時間。
必ず3軒ハシゴ酒。
父親の得意はカラオケ。会う度聴かされた時間。吉幾三さんの声と唄い方にとにかく似ているのです。
今も演歌が好きなのは父の影響。カウンターで毎回お前も歌えと、必ず手渡されたマイク。
知らないお客様の大切な時間に、私の歌なんて聴きたくないよなと思えた溜息時間。
その時間が苦痛で苦痛でそれでも歌わされた時間。今となりやっと分かったこと。
マイクを持てと教えられた時間。
しかしそれまでは、父との時間はほぼ無し。俺は生かされた命だと、これまでやれなかったことをやりたいと始まった時間。
仲間達は驚きますが、親子と言えどとにかく緊張した親子時間。それ程親子の時間が無かったのです。
そんな緊張時間も、1年くらいで楽しみになった時間。
更には亡くなってからも、ずっと私の心で生きて、私の大きな力になって下さっています。
振り返れば、カウンターでの会話はほぼ100%仕事の話。
常に会社は大丈夫か。仲間は大切にしているか。口癖の親父でした。それは亡くなるまでどんな辛い時も、息子の私と会えば出た言葉だったのです。
10年大福
やっと見た夢だった10年大福。
親父も亡くなってから間も無く10年。
会社は大丈夫か?仲間は大切にしているか?
財布の中に常に父親の写真を入れて、会社を守ってもらっているのです。生きていたら、仲間達の店のカウンターで、一体何を言って下さったのでしょうね。
ずっと大切にしてきたこと。これからもずっと大切にしていくこと。
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
昨日のナイトウォーキング。途中犬の福がもうお前には付き合わないと、歩かないのです。と思えば逆走。どこに行くんだと走って着いて行くと我が家。ついに見放されました。でも100%やり遂げられるのはこの仲間の力。感謝してます(´∀`)63.2。むむむ+0.2間に合うか。。。
なぎ