『ありがとう』
とても大切にしている言葉のひとつ。
なかなか言えない言葉
このありがとう。後輩達は何故か言えない。
でも想っているのに、言えないと言うのです。それは恥ずかしいからと。
そんな言えるタイミングだらけ。誕生日とか記念日。だいふくでは給与企画😁大切な日があるのは、感謝の日を届ける日。
でも私自身、子供達との時間を最近になってやっと2人で過ごせる様になったこと🥹
コミュニケーション不足
よく信じられないと言われるのですが、コロナ禍になるまで、娘とは殆ど2人で過ごす時間は無かったのです。
息子はダンスのことがあり、2人の時間はありましたが、娘は全く無かったこと。
娘はよく妻に言っていた言葉。今日もパパがいる。気まずい。これ娘も思う様に、私も感じていたこと。
気まずさが分かるからこそ、初めは正直ぎこちなかったのです。でも今は、驚く程自然体。2人でどこでもいける。
夏休みの子供達に、昨日もご飯行く?と言えば、息子はいらないとあまり来ないのですが、娘はすぐに準備して、2人で夜の外食。
車の中で色んな話をして、やっと親子の会話。異性の話から、心のこと。よくパパと似てるわと。
仕事の雑用も手伝ってくれる。なかなか動ける娘なのです。
そんな私が家族といる姿がとても嬉しいと、涙まで流して下さった方がいる程。父親として、それだけ何もやって来なかった酷い父。
そんな反省から、小学校のおやじの会に入会して、おやじ達から親の気持ちを学んだ日。
クラスも友達も何も知らなさ過ぎる私に、なぎちゃん大丈夫〜?よく言われた言葉でした。
だからこそ、こう言うことも全て取り返すロング企画をやっているのですが、流石にコロナ禍で家にいる時間が無かったら、今でもぎこちなかったと言う関係性。
でも大切にし続けているのは、感謝の気持ち。これは父親の背中を見てきたからこそ。
親父との時間
実は私の父親とも全く同じだったこと。親子なのに、父親がいると気まずかったこと。
しかし、55歳悪性リンパ腫、ステージⅣ余命1年と言う闘病生活を完全復活してから、父親がやり残したことを続けた8年があったのです。
それは息子と2人でカウンター飲み。この時間があったことで、大きく関係性は変わりました。
2人でかなり酔い、毎度とにかく深夜実家に帰れば、母親に飲み過ぎだわと、心配されると言う繰り返し。
でもいつも記念日には、必ず手紙付きでありがとうを届けてくれた父。
私が小さい頃から、そう言うことがマメと言うのか、とにかく大好きな親父でした。
そんな11年前の今日。サプライズパーティーをみんなが企画してくれた日。だいふくを設立した時のお祝い手紙。この手紙が、父親からの最後の手紙になってしまうのです。
こうやって、大切な日には必ず手紙をくれた父親でした。2014年9月5日、骨髄移植をする為の入院前。
そして、私の血が入ったその日から、約1ヶ月もがき苦しみ、10月3日天国へ。
全てを覚えています。
自分が激変した時。いつ何があるか分からないからこそ、沢山の想いは、命ある時にちゃんと届けたい。今日もしっかりと届ける日。
伝える大切さ
想いの言葉を届けるって本当大切。
2日前のミポリンブログもまさにそう。
ちょっと恥ずかしいけど、、
最近「好き」を伝えるのって大事だなぁ〜としみじみ。
私はこれを見てうっとり。後輩に届けたい。恥ずかしいからと、『ありがとう』ひとつ言えない。
『好き』と言えるレベルの話を聞いたら、ありがとうなんて超入門レベル。
そしてそのまま『愛してるよ』言ってしまおうか。来月誕生日だね。
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
感謝出来る様に。もう自分1人では乗り越えられないレベル。人に頼れることで心が満たされていくのです。
なぎ