給与日取材。だいふくアワー笑っていいかも❗️
ケアマネさんの想いを繋いでいきます。
ケアマネをやっていて良かったこと。ケアマネになって良かったこと。ケアマネが辛すぎること。こんなことやって良かった。この仕事をして良かった。悪かった。楽しかった。ここが違う。ケアマネあるある。
この仕事が何故不人気なのか。あの日の人気を取り戻す為にスタート。だいふくアワー笑っていいかも❗️笑えない時間がとにかく増えたこと。だからこそ、だいふくアワー笑っていいかも❗️
視点を変えた時、笑えるかもしれない。色んなケアマネさんのストーリーから、笑えるかもしれない。そんな気持ちになれたらな。そんな想いでスタート🥰それでは〜🤚
笑って~🖐️
いいかも~
🤚
記念すべき、第1回のお客様
株式会社だいふく
支援センターみずほの安田様
福祉職を始めたきっかけ
大学を出てすぐに勤めた段ボール製造業。大学4年就職活動して選んだ職場。まさに時代は不況時代。バブルが弾けた時でした。
この先必要とされるもの。段ボールは常に必要だろと。この仕事は絶対に不況に強い。その世界が初社会人のスタート。そして営業職をやって身につけたコミュニケーション技術。
順調だった矢先のこと。経験を積んだ実績は、工場の従業員さんと突然のトレード。当時住んでいた愛知県瀬戸市から、愛知県小牧市の工場までの1時間半。最初に感じた思いは、通勤がしんどい。定年の65歳まで働ける自信がない。
突然訪れた心の変化。突然展望が無くなった気持ちが襲い掛かる。気力も無くなってしまい、1ケ月のんびりしようと退職を決める。
そんな自分を見て、公務員の叔父から老人ホームはどうだと話がある。その昔、母親のお友達が、お風呂から出られなくなってしまった時がある。そこで力になれた時、すごく喜びを感じた日があり、とてもわくわくした自分と出逢えるのです。
そして老人ホームの試験も無事通り、パートで介護士として入った世界。25年前の平成11年福祉の世界初スタート。24歳のデビューでした。
しかし入ってみて感じたこと。自分は福祉の専門的な勉強もしていない。まだまだ男子が全くいなかった時代。当時男性はたったの2人。でもあの日の記憶通り、助けて喜んで下さった姿を沢山見れた世界にどっぷりハマるのです。
3年やって介護福祉士免許を取得する。そして5年の経験を積み、ケアマネ免許を取得。とにかく頑張り一発取得。その後挑戦したのは、特別養護老人ホームの生活相談員。経験を積み、同法人のケアハウスに人事異動となる。
ここで大きなきっかけとなる。
ケアマネになりたい
ケアハウスは、利用者様の状態が悪くなったら退去になる。自分の勝手な判断で、残す訳にはいかない立場。ケアハウスは要介護2になったらだいたい退去。ほぼ自立では無いと退去になる。相談員が言わないといけない。入所待ちはとにかく沢山あったのです。
退去が決まれば、いつも見せて下さった笑顔が、すぐに見れなくなってしまう。この方達の将来ってどうなるんだろう。
でもケアマネと言う立場になった時、最後まで支援が出来るんだ。ケアハウスの相談員はこれで終わってしまう。大変な世界だけどやってみたい。
誕生
そんな最後まで見たいと言う気持ちが、ケアマネ誕生に繋がっていく。最後まで関わっていきたい。これが安田ケアマネの誕生である。
介護6年相談員4年。10年の経験から、ケアマネデビューする。
夢見たケアマネの世界。しかし現実は厳しかったのです。ケアマネの職場には4人のケアマネさん。自分が加わり5人体制。男性は自分ひとり。
指導は大変厳しかった。とにかく時間に厳しかった。時間厳守。自分は体育会系タイプじゃなかった。1年でお手上げ状態。やっぱりケアマネは自分には難しいかもしれない。頭を何度もよぎった。もう無理かもな。でもでもでも。
しかし結果苦しくて退職。新しい事業所オープンと同時に開設スタッフとしてケアマネでは無く、相談員として転職が決まり、自分の居場所はここだなと心踊る。
しかし相談員と言われていたが、待っていたのはケアマネ管理者と言うポジション。相談員の気分で出勤するとケアマネだった。でも家族を支える立場として、あまり転職も出来ない。悩みに悩み5年管理者をやった。とにかく辛い時期だった。
決めた目標の為、主任ケアマネを取る為5年は頑張ろうと決めた。何度も福祉の現場から離れようと思った。しかし待つものは給与面。やっぱり自分は介護から抜けられないんだ。何度も何度も思った。ガソリンスタンドに就職しようかな。違う仕事に何度就こうと思った。
こんな日々にストレスがどんどん溜まっていき、自分が自分で無くなり、おかしくなっていく。
そして心が爆発した瞬間、当時折り畳みのガラケーの携帯電話を壊してしまった。理由は分からない。今思えば遮断したかったのかもしれない。
管理者として指導する立場。しっかりと導かないといけないのに出来なかったストレス。だんだん自分の心が歪む。自分は上司に言われ直したのに何で直らないんだ。お手本の人を見習えと思っていたことが、出来ない部下。
今思えば自分が未熟だと分かる。しかし当時はそこに気付けない。おかしい。ばかばかしい。当時の部下2人には、沢山ご迷惑をかけたなって何度も振り返る。
妻の存在
そんな姿を見てこれではダメだと、妻はずっと傍で見守ってくれたのです。
とにかく苦しかった。朝礼をやっても、自分ひとり一方的な話ばかりで、もう頭がおかしくなる。間違ったことをやっていると自分が変になる。何も誰の情報も入ってこない。自分の未熟な部分が、もう我慢できなく無ってしまう。
鏡に映る自分の表情がとにかくきつかった。喧嘩する訳でもないのに、イライラが止まらなかった。この状態でいいのか。まだ自分は何とかなるのか。その時、初めてだいふくを知る。
『この会社あなたにあうんじゃない?』この妻の一言で、心がとにかくスッと楽になった。
だいふくとの出逢い
初めて見ただいふくホームページ。明るく楽しそうな姿。ケアマネでもこんな笑えるのかな。
そして思ったこと。男性がこんなに多いんだ。ここに行ってみたい。だいふくに行きたい。勇気を出して連絡をしてみた。
そこから今。
基本的に、人は見習えば行動は直ると思っていた自分の行動は間違っていたと、今だから心から思えること。いい意味でも悪い意味でも指導しないといけない。
あの日の反省から、指導は特に気をつけている。しっかりと見る様にしている。タイミング見て話をしている様に意識している。まだまだだが、自分が感じた辛い時期を少しでも経験させたくない。
あの悩んでいた当時、帰ると夜更かしモードばかりで寝れなかったこと。憂さ晴らししたいとゲームばかりだった。一人の時間。無になる時間が欲しかった。そして、なるべく目立たない様に。それは、おかしな姿を見せたくなかったから。
変われた自分の姿
そんな日々が、今どうだろうか。大きく変わった自分。人と話していないとダメになったこと。今は自分の姿を笑ってもらうと嬉しくなったのです。
ばかばかしいけどやってみたいと思えることばかり。幼稚園の自分に戻ったみたい。幼稚園はわんぱくそのもの。
やりたいことやっている自分がとにかく好きになった。
でも振り返るとこれまでの悩めた経験こそが、この今に生きている。全てが自分と言う人間の基になっていること。
礼儀、駆け引き、ケアマネジャーとして、社会人として成長する為の心構えを学べたこと。
何度も反省をいかし、ケアマネジャーの仕事を実践した場所。
色々あったが、自由に仕事はさせてもらえたことが大きな経験値。そしてだいふくでは自分が学んだこと、身につけたこと新しい自分を表現する場所。
安田は明るくなった。楽しそうだ。と仲間からは言われる様になったこと。管理者も本当は怖かった。でも仲間達に助けられて、本当挑戦して良かったと、心から毎日笑っていられることに感謝しかない。
だいふくは自分の可能性、練りに練った自分の想いや力を発揮する。いや、発揮したいと思うようになる職場で、今自分わくわくしています。
そしてこれからも、沢山の笑顔を掴み取る為まだまだ自分らしく前進していく😁
大切な家族や、大切な仲間達に支えられて、今心から笑えていること。この場をお借りして感謝を伝えさせて下さい。
『本当にありがとうございます。何度もありがとうございます』
そして、来月11月給与日笑っていいかも❗️お客様はこの方にします。
株式会社だいふく 介護支援センターもとやま
永川CM㊗️
をご笑介します🥰
15分取材ありがとうございました。それでは来月は、永川CM編をお送りいたします。
色々なことがあったらからこその今。あの時笑えなかった日々も、あの経験があったからこそ今笑えること。笑えない過去を乗り越えたからこそ、今思いっきり笑えること。加えて人の痛みが分かること。だからこそ心から届けたい。
笑って〜🖐️
いいかも~
🙌🙌
🖐️
安田CMを支えた応援ソング 長渕剛さん
『HOLD YOUR LAST CHANCE』
やんさん。ありがとう。これからもそのまんまで。先ずは自分が強くなれ!
編集なぎ