毎年、家族で呼んで下さる忘年会。もう20年集まってきた、変わらぬメンバー。

20年以上も前、初めましてで出逢った頃から何でこんなに親切なんだろうって。
これ奥さんに持っていって。これお母さんに渡して。いつもとにかく親切で、凄いなって。
どんな時も常に相談しては、人生のいろはを教えて下さった方達。遊びも仕事も、常にぶっ飛んでいた方達。
昨夜は、そんな山男の会社忘年会。もう会社設立して24年目。
親父の様な生き方
創業者の山男が常に言っていたのは、俺は仕事辞めたらここで住むんだと、400坪の山を購入して、常に楽しんでいた姿。
カッコいいなぁと眺めていると、くさなぎ君もそこに倉庫欲しいから、小屋でも自分で作って見るかと、山をショベルカーで生地して下さり、凄い経験をさせて下さった山男。

本当そんなことまでして下さる方だからこそ、ずっと感謝してもしきれない大切な方。

どんどん愛着が湧き、みんなで作った山の小屋。中も勝手にいじっては、大人達の遊び場へ。

お酒と楽器はとにかく相性がいい。みんな酔いながら心リフレッシュ。

山男が切ってくれた丸太に座り、火を眺め、星を眺め、山男からの時間を、今以上にまだまだ未熟な仲間達みんなで満喫し夢を語った、非日常空間。

色々みんな頑張ったなぁと、そんな普段味わえない雰囲気が、また話を盛り上げてくれる。
誰にも迷惑かからないからこそ、みんなで酔って歌って、心スッキリして。
遊び心いっぱいの扉を創って下さった、山男。そんな山男は67歳で天国へ。

ずっと心で生き続ける恩人
山男と2人で山にいる時に、俺癌かもしれん。そんなこと言う山男じゃない。奥様にすぐ伝えたのです。
山男は嫌がろうが、すぐ病院に連れて行かれた山男。大腸がんとの診断。入院となり、親父と同じ病院、同じタイプの個室で、重なってしまったこと。
父親が退院した時は霊柩車。もうなんでこんなに泣かすくらい、悲しい雰囲気にするんだろうと思った時間。
声を上げて泣く家族に対して、自分はここから親父との約束、親父の葬儀は盛り上げないとな。
気が引き締まった時。そんな思い出の病院だっただけに、山男が退院すると連絡があった時、とにかく嬉しくて、仕事終わってすぐに駆けつけたのです。
両手いっぱい持てる山男の荷物が嬉しくて、娘さんや奥さんが、くさなぎくん持つわと言う言葉を振り切ってまで、持ちたかった荷物は、親父の退院で叶わなかった、嬉しさばかり込み上げた思い出の時間。
どうしても1番先に歩きたくて、ひたすら重たい荷物に重みを感じた日。
大切な方が、大切にしていた方達も当然大切で、ずっと決めていることは、この時にお礼が出来ると想ったこと。

いつも忘年会の高価な食事も当たり前じゃないなって。毎年毎年、ごちそうになってばかり。

こんな時にしか恩返しは出来ないと、自分の強みはゲーム大会。笑品も勝手に準備させていただき、いつも以上に盛り上がる会になってきたのです。

山男は、いつからか私をいつも締めの挨拶に抜擢。くさなぎ君最後の挨拶頼むなと。酔いながら、いつも目の前の私に託した想い。
これも勝手に与えられた使命感。
初めて山男がいない忘年会の時。何も挨拶をせずに終わった時、これじゃあ山男が悲しむなと、次の年から二代目社長の奥様に、最後挨拶良いですかと、勝手にさせていただき、やっぱりこれだなと。
昨夜も勝手に話させていただいた想い。約10年前、会社ロゴをプレゼントさせていただいた時の想い。改めてこんな想いで創ったことを伝えて、また来年山男を中心に笑おうねって。
参加させていただき20年も経てば、みんな20歳は年齢を重ねた方ばかり。
ヒーロー的存在の山男が、大切にしてきた方達に向けて、ほんの少しだけ成長出来た自分が、この先もやれること。
みんな助け合って生きていて、大切にして下さった方は、そこに姿なくても、常に必ず大切な方の存在があり、大切な方が大切にしてきた方達がみんな同じ方向を向いているから、何だかんだありながらも、上手くいくことを常に教えて下さる山男の存在。
毎年共に飲める時間。

毎年毎年、みんなの気持ちが明るくなる大きな存在。

素敵な学びをいつもありがとうございます。私も大切にしていきますね。

そして、今年もご馳走様でした。
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
私の葬儀も盛大にして欲しいのですが、私は家族葬だそうです。仕方ないね。想いは親父達の様に、印象的な葬儀にして、皆の心で生きて生きて応援したいんだなぁ(´∀`)
なぎ














