カウントダウンを開始して、4月22日を迎えた。
いったい、今日は何の日?。
誕生日なの?。それとも、結婚記念日なの?。
いやいや、違います。
今日は・・・・。 4月22日は・・・・ 『ケアマネ記念日』
そう、私が勝手に決めた。私だけの記念日。
思えば、2014年。今から丁度8年前のこと。『人生の最終章を、その人らしく過ごせるように、お手伝いがしたい。それぞれの人生において、色々なドラマがあるけれど、
最後は心穏やかに過ごせることが、人としての幸せではないだろうか。最後まで、寄り添う支援をしたい。』
そんな、身の丈しらずの、大きな目標を掲げて、転職したあの日。施設生活相談員から、単独居宅介護支援事業所のケアマネジャーになった2014年4月21日。
あの頃の僕は、【人としての未熟さ、能力不足と、自分を変えられない頑固な性格から、多発させた苦情】で、早々につまずき、挫折を味わうことになった。
冷静さを欠き、判断能力も欠如。やること、なすことが空回りする毎日。
今までに、経験した事がなかった程の、大きな挫折感から、自分に人生の隙間を手で覆いたくなっていた。
そんな自分に、耐えられなくなり、ついに、1年ほどでケアマネジャーの仕事を辞めてしまった。2か月ほど次の仕事に備えて、英気を養うことにした。
この間に、福祉以外の分野での就職も考えたが、結局、福祉の仕事を続けることに決めた。
この、英気を養うことに当てた2か月間に、僕は大きな過ちをしている。それは、今まで培ってきた、大切な物を失ったことだった。こんなに出来の悪かった僕に、
粘り強く指導して頂いた方々の知識、アドバイス等、学んだ事を記憶から削除してしまったり、自ら作成したケアマネジャーとしての学習記録も、処分してしまった。
当時の心理状況から考えると、ケアマネジャーだったこと自体を、記憶から削除しようとしていたと考えられる。
その後、思いもよらぬ形で、再びケアマネジャーの仕事に就くことになったが・・・・。ケアマネジャーだったこと自体を、覆い隠してしまった、にがい経験が、今でも脳裏に浮かぶ。
あれから8年。
同じ過ちは繰り返さない決意を胸に。『あの先輩ならば、この時どう対処するのだろう?。僕が決めた支援方法、段取りについて、あの先輩はどんな見解をするのだろう?。』
など、いつも自己点検し、もがき続ける毎日。自信を持つことを封印して、常に自分の仕事ぶりにも、疑いの目を向けながら、今日まで歩み続けてきた。
そしていま、自分の人生を振り返ってみる。『自分がどのように成長したのか。ケアマネジャーとして、どうなのか?。自信は無いけれど、少しはまともになれたのかな?。』
それが、今の正直な僕の気持ち。
その後も、挫折と時には、情熱的な行動を繰り返しながらケアマネジャーを続けて・・・・。
ようやく出会えた。
皆さんと、草彅社長と、だいふくと。
4月21日は、僕がケアマネジャーとして、ケアプラン等、公式な書類に初めて名前が登場した日。
しかし、この日の事を・・・・。ケアマネジャーとして働き始めたことは、その後に挫折した経緯もあって、とても人には話せなかった。
目を背けたい気持ちが、心の奥深くに留まっていた。
でも今は、高齢者福祉の要の職業である、ケアマネジャーとして働き始めた日である事実を、皆に堂々と伝えられる。素直に、この仕事を続けている事を喜べるようになれた。
この様な体験をしている僕。最後に、4月22日をケアマネ記念日に決めた理由をお話したい。
【記録上、4月21日が正式にケアマネジャーとして就任した事実。】そして、【自分の責任で、つまずき、大きく挫折した事実。】は、どんなに時が過ぎても、変わることは無い。
全ての事を受入て、いつまでもくよくよしている、自分自身に終止符を打つために、迷いを捨て去ることで、僕がケアマネジャーとして、正式に仕事を始めた事実を、今も続けている事実を、
認めたいと覚悟を決めたのが理由。
『失敗を糧にして、惜しまない努力をすれば、必ず成果がついてくる。』と教わってきた。
その教えに肖り、翌日の4月22日をケアマネ記念日としました。
これからも、だいふくの一員として、ケアマネジャーとして、まっすぐに生きていきたい。自分を信じて、あの時に掲げた目標に向かって、ゴールを目指して行きたいと思う。
今まで、私のために指導を惜しまなくして頂いた方々。人生を変える、きっかけを与えて頂いた方々に、敬意を表して。
そして、自分勝手な、カウントダウン企画に、お付き合いして頂いた方々に、感謝の意を表して。
ヤンより。