数日前にギックリ腰をしてしまい、すぐ良くなるだろうと、甘く考えていたが、なかなか治らない…😅
むしろどんどんイタミが増しているよう感じる…😅
日常の生活は出来るものの、階段を登ったり、降りたり、
床に落ちた物を持ったり、重たい物を持ったり、とにかく何をするにでも、腕で支えないと、動作が出来ないカラダに🤣
寝ているだけでもイタイので、体制を変えようとする、
寝返りをうつそれだけでイタイので、でも途中で止まるわけにはいかないので、動くと、どこの位置が楽なのか分からず、
痛みに耐えれず、また同じ体制に戻る…。
戻ったあとに、何やってるんだろう…。
って痛みと、動いたけど体制が戻っている、自分の情けなさでイヤになってくる…。
カラダに痛みや、不自由なところがない時には気が付かなかった、
階段の手すりや、お風呂場の手すり、
長い時間立っていることも出来ないし、座ろうとしても、床には座ることは出来ない、
イスの有り難みが身にしみますね。
ケアマネジャーをしていて、病気の方や、カラダの一部が不自由になった方のプランを立てているが、
その方の思いや、生活をイメージして、
何をしたいのか、どんな思いになっているか、
どんなことが困難になっているのか、何が出来なくて、何が出来るのか。
そんなことをよく考えてプランを立てるのですが、これは実際、自分自身が出来なくならないと、分からないことばかりですね。
目の前のリモコンをとって、エアコンのスイッチを押すだけで、一苦労する。
そんなことが、カラダに何不自由のない者が考えもつかない。
目の前にあるんだから、パッと取って、ピッと押せば済む、って思ってしまう。
それが出来ない人だっているってこと。
今生きている世界は、基本的に健常者が生活できるように作られている。
今でこそバリアフリーが勧められて、スロープや、段差のない空間が作られていますが、
基本的ことを言えば、二本足で歩ける人用に作られている世界。
ケアマネジャーをしていて、よく思うことが、この二本足で歩けなくなった時に、生活がガラッと変わってしまうこと。
車椅子の生活になると、階段を1人では登れなくなる。
歩行器が必要になると、狭い空間では歩けない。
杖が必要になると、荷物を手で持つことが出来ない。
そんな方たちのことも考えられた世界にはまだまだなっていない。
どんな状況や、どんなカラダになっても、楽しみや、自分の好きなことが出来る世界やプランを立てて行きたい。
かわ