「無理すんな!完走するだけで立派!」
目標設定する時はやる気が先行して、ついつい高い目標を設定しがちです。
しかし、その目標に捉われすぎると走ることが苦痛になってしまいます。
目標は完走、くらいにわかりやすく、緩くして楽しく走った方が、完走した時の達成感もありますよ😊
じゅんじゅんのブログ内容。
私も色々なマラソンや登山にチャレンジして感じたことは、本当その通りで終わった後は達成感満載。
しかし唯一。たったひとつだけゴールした時何も達成感どころか、喜びの感情が無だったひとつの経験があるのです。
終わってからしばらくすると、またやりたいなと言う気持ちにもならなかったのはその挑戦のみ。
それまではどんなマラソンの大会にエントリーしても、じゅんじゅんの言った通りの達成感で満たされて、そしてまた次出てみようかな。
登山でもそうで、高校生の時に穂高や蝶ヶ岳を無理矢理登山。もういいと思いながら、その後、登山もいいなって富士山を4度もチャレンジしてみたり。
月日が経つと、あれだけ辛く苦しい体験が、またやりたいなに変わったのです。
しかしひとつのチャレンジだけは、あれから何年経とうがやっぱり出たいとも思わない。
それは100キロウォーキング大会。碧南からスタートして、豊橋まで行き、真夜中一晩中歩き、そして三河温泉まで戻るというコース。
1度目の挑戦は50キロあたりで、時間制限。これは悔しくて、2度目のチャレンジ。この2度目で知った初めてのゴール。合計28時間。
土砂降りの雨の中のゴールはさぞ感動するものだと思ったが、引きずる足のまんま感情は無。もういいわ。
もう2度とやりたくないわ。限界の限界。その後、2週間歩けなくなってしまい、車椅子と松葉杖生活。
まともに歩けないのです。そんな経験から、もうこれは出ないと、今でも変わっていない。
しかし50キロであれば、私レベルでは感動が待っている。やったーおわったー。50キロの折り返しではあったのです。
しかしそこからまた半分。ゾッとした様に、もうこりごりな50キロが始まる。
足はパンパン。ぐちゃぐちゃ。
それでもゴール目指して。チラつくリタイアの誘惑。
それでも歩く。そしてゴール。何も気力なく身体の痛みで苦しめられる。
そこで感じたことは、自分のレベルを超えて、身体を壊してまでやるチャレンジは、こんな感情になることを知ったもの。
だいたいは月日が経てば、あの時の辛さが楽しみに変わるはずなのに。心も身体もズタズタにやられた100キロウォーキングだけは全く気持ちが違うのです。ここを知れたひとつの体験。
しかし、じゅんじゅんレベルであれば、達成感溢れるゴールが待っていること間違いなし😊
本日も心わくわく🫶いってらっしゃいませ✊
隠れ名言
限界が見えてからが勝負だ。野村克也
なぎ