昔の写真を探しているときに、出てきた1枚の写真。
皆さんが憧れる、壷内社長さまの事務所トイレの中に貼ってあった言葉。
思考から始まり、最後は運命で締めてある言葉でした。
と言ってもなかなか動けない自分だったなと。やりたいに動くまで長過ぎたなと。
思考から言葉。言葉には出来たのです。あれやりたいな。そのやりたいが見つかってはいたのですが、その勇気がなかったこと。
そこに出てくる言葉は、絶対ダメだと言う悪い言葉ばかり。やりもせず、常にどうせダメだよな。
弱きでネガティブな言葉が、簡単に出てくる性格😫そんな自分ではあかんなと。
その時、当時55歳の父親が健康診断にひっかかり、まさかの悪性腫瘍ステージ4。1年の余命宣告。この出来事が衝撃的で、強いイメージの親父でもえ?余命1年?
まさかのまさか。どんどん弱っていく姿を見て、超がつくほどネガティブ性格だった自分は、もうダメだな。
何度も思ったこと。すると超ポジティブ性格な親父は、笑顔は免疫力を上げるからと、常にいいことばかりをイメージして、闘病生活を始めるのです。
すると医師も驚く程、余命1年を見事に克服。結果8年生きてくれるストーリーになるのです。
そこから親父は俺の人生生かされたと、同じ病気で苦しむ仲間たちへと、同じ病院で共に闘っている仲間たちへ自費出版の本を配るのです。
配り過ぎてしまい、実家にもう本はなく原稿しが無くなってしまったのですが、ここで書いてあったのは笑顔の力。
どんな時も笑顔で生きようと。
そこから自分は大きく変わったきっかけになったのです。親父も大きく変わったのです。
とにかく仕事人間だった親父は、家族よりも仕事仲間を優先する生き方。その為もあってか、父親と二人きりになると会話も無く、逆に緊張したもの。
そんな親父が始めたのは、息子と2人で、仲間の店でカウンター飲みをすること。はじめは気まずかった時間も、いつしか毎月が楽しくなっていくのです。
5年経過すると、5年生存率が一気に上がり親父と喜んだものです。しかし風邪ひとつひき体調が悪いものならば、とにかくまたよぎったもの。
そんな中また体調が悪いと、病院に行くと次は骨髄異形成症候群。生きるためには骨髄移植しかない。でもやらないなら数ヶ月では無く、数年生きられる選択もあったのです。
ここでよく書く私がドナーになったこと。
生きるか死ぬかの選択を迷いなく
『息子の血で死ねたら本望です』
何を自分はこれまでやりもせず、何年何十年悩んでいたのだろうと。親父はきっとずっと、こんな息子にずっと教えたかったのだろうと。
自分のやりたい挑戦は、どんだけ失敗しても死なないじゃないか。やり直せる挑戦ばっかじゃないか。
そこから始めたのが、株式会社だいふくの挑戦。
最後の言葉はこれ。
仲間たちが設立パーティーをしてくれた時の、サプライズな親父からの手紙で初めて知ったこと。
自分からしたら始めるのですら難しかったこと。でも命と闘っている親父は異次元。
何んでも始めるのは簡単だと。それを大きく成長させながら継続して行くことに意義が有る。
久志とは永久的な志しをと名付けた名前です。本当吹っ切れた時でしたね。
結果親父は、私の血でもがき苦しむのです。2014年9月3日7時9分会社設立。
その1ヶ月後10月3日父が天国へ出張。
命の教育からガラリと行動が変わり、今この毎朝ブログも、皆さんのおかげで習慣となれたこと。
弱い自分への挑戦状はこの先が楽しみなのです。あんなネガティブだった自分が、驚く程性格は変わったこと。
久々に見た言葉。改めてその通りだなって。
まず一つの区切りとして、永久的な志しを強く持ち続けた日が今年やってくる。
この運命的な出逢いがあったからこそ。
『心からいつもありがとうございます🥰』
本日も心わくわく👊いってらっしゃいませ👊
隠れ感謝 こんなところまで読んで下さる皆さんに、とにかくとにかく支えられて今があります。本当にいつも感謝ばかりです。改めていつもありがとうございます(╹◡╹)
なぎ