前回出演して下さいました、加納ケアマネからのご笑介。
いつも明るく、皆さんから美保さん美保さんと頼られるお姉さん的存在、山口ケアマネジャー。
とにかく爽やか笑顔、元気いっぱい大活躍な山口ケアマネジャーを、ここにお呼びしたいと思います。
山口
ケアマネ
✌️
どうぞ~✌️
福祉との出逢い
『ありがとう』
全てはこの言葉から始まった福祉への道。まだまだ福祉と言う言葉が騒がれる前。中学校の文化祭で、障害施設の方達を招待した時があったのです。
まだまだ時代は、現在の様に福祉が整備されていない時代。車いすの方が今の様にスムーズに動きにくかった時代。そんな中学時代に、ボランティアをした経験が全ての始まり。
そこでの車椅子の方の一言こそ、山口ケアマネが福祉の道を決めた、最大のきっかっけになった言葉があったのです。その言葉こそ。
『ありがとう』
この5文字が、山口ケアマネの将来を決める大きな言葉に変わっていくのです。山口ケアマネにとっては、当たり前だったことが、とにかく心に響き嬉しかったのです。
そして、進路まで考える大きな言葉へと。介護の仕事に就く為にどうしたらいいのかと考える。
看護の道に進もうと思ったこと。しかし、その当時、親の言葉は大変大きくて、看護科の道では無く、普通科に進んだ山口ケアマネ。
そして被服科の道に進む。今も器用でみんなの大きな笑顔に繋がっているのは、学生時代積み上げた、あの日の努力あってこそ。
忘れられない言葉
ずっと浮かぶ、あの日の嬉しかった言葉。
『ありがとう』
短大卒業後、幸田にある特別養護老人ホームに初社会人デビューをする。中学生の時に夢見た職に就けたことが、本当に嬉しかった日。
知識が無い中で現場経験を積み、介護福祉士の国家資格を取得。そこから、新しく出来たケアマネジャーの資格に興味を持ち始めるのです。
勉強するのが大好きだった山口ケアマネ。挑戦出来るなら、この新たなケアマネと言う資格に挑戦してみたい。
同時に、幸田の特別養護老人ホームまでの通勤に1時間かけて行っていたが、距離で負担を感じる様になり、自宅から近い施設に転職をする。
一度もこの仕事をしていて、嫌だと思ったことがないと言う山口ケアマネ。しかしそんな仕事の中で、どうしても苦労した経験があったのです。
それは中間管理職として、一度だけメンタルをやられた過去。自分のことは常に後回し。何としても部下の為。会社の為。
苦しくて1か月で4キロ激減する程悩んだ日。中間管理職がとにかく辛かった。これではよくないと、自分で決めた挑戦。それは逃げることも大切だなって。
すると、辞めた途端驚きの8キロ増。
ケアマネを目指したきっかけ
介護保険制度が出来て、新たなケアマネジャーの資格。勉強するのが大好きだったこともあり、ずっと勉強し続け挑んだ資格。
2003年、ケアマネが合格したタイミングで長女が誕生。
現場で知ることが出来た笑顔と苦労。これまでの経験から、次への目標はケアマネに挑戦してみようと踏み出した一歩の勇気。そこで知った、ケアマネジャーの素晴らしさ。
出来たばかりで挑戦したこともあり、介護保険制度の移り変わりを、全て見てきたのです。
育児をしながらパートでの挑戦。まだまだ出来たばかりの制度。体制が整っていないこともあり、当時指導者がしっかりついていただけない環境は、とにかく不安だったこと。
全てを一人で覚え動き、とにかく不安が大きかった経験は、今に大変活きているのです。
ケアマネ冥利に尽きる
ケアマネをやっていて、一番良かった時はどんな時ですか?
癌末期の方を担当させていただいた時のこと。今までケアマネをやってきて、本当嬉しくて忘れられない出来事のひとつです。
手術後、1週間で退院予定だった利用者様。しかし手術時の感染症で、意識が戻らなくなってしまい、そのまま亡くなってしまったのです。
悲しい連絡でした。その時に、病院からご家族と山口ケアマネが呼ばれびっくりしたこと。
その利用者様は、最期の時は山口ケアマネに顔を見にきて欲しい。ずっとお願いしていたと言うのです。
そこで、ご家族と一緒に沢山の思い出話をしたあの日のことは今でも忘れられない。そして、ケアマネが貴方で本当に良かった。
『ありがとう』
あの日の言葉と、全く同じ感情だったのです。
自分のやりたかったことは、間違っていなかったなって確信に変わった時だったのです。
それまでは、ずっとこんなことを感じていたのです。ケアマネさんって何やる人?介護保険制度が出来て間もなかったこともあり、ケアマネさんって何する人?
何かと葛藤が多かったケアマネさんは、山口ケアマネだけに限らず、間違いなく私もそのひとりでした。
そんな中、一つひとつ増えていく『ありがとう』の言葉達。その時に強く感じたこと。
『ケアマネ冥利に尽きる』
山口ケアマネから出た言葉が、とても印象的な言葉でした。
目指せ尊敬お母さん
一番近くにも、自分の姿を見てくれていた人達がいたのです。それは子供達でした。
長女専門学校3年生。次女高校1年生。2人とも、母の姿を見て選んだ進路。
長女は作業療法士の道へ。次女は福祉課の高校を選んでいたのです。
ケアマネが心から楽しい。ケアマネは本当いい仕事。常に繰り返した言葉。その言葉を聞いていた子供達から、とても嬉しかった言葉を聞けるのです。
『だいふくに入りたい』
だいふくで働いてから、子供達に常に楽しそうに映っている母の姿。頑張ってるねって、常に応援してくれる子供達の姿。
親からは一切何も言わずに、子供達が自ら選んだ道。忙しそうだけどお母さん楽しそう。給与日イベントのサイコロ企画では、せめて4を出してこいと娘達からのエール。笑品をもらってくるのも、とても楽しそうにしてくれる子供達の姿。
そんな姿を見て、山口ケアマネは想い込めた言葉で話してくれました。
『私は人に
救われた』
大切な出逢い
おおすと出逢えて本当良かった。
おおすの雰囲気は、近藤さんをはじめ、西脇さんの存在がとにかく温かくて楽しい日々だったこと。
ここが更なる笑顔の始まり。
まだ入ったばかりの時、近藤さんと西脇さんの3人しかいなかった。近藤さんは昔から知っていることもあり、とても話しやすかったこと。
はじめましての西脇さんも本当優しくて。初対面でも1時間も話が盛り上がった思い出。一気に不安が無くなり、新しい挑戦が始まった、初めての正社員ケアマネジャーだったのです。
今は主任として大変なこともある。でも過去の経験こそが、今入って下さった方達に感じて欲しくないからこそ、痛みが分かるからこそ、今の山口ケアマネの姿があるのです。
だからこそ、みんなから頼られるお姉さん的存在なのかなって、改めて感じたこと。
名刺裏の想い
元気の源
『趣味も仕事も推し活も♪
時間を大切に楽しむこと!』
楽しむこと!勿論、悩んだ時もあるけれど、仕事が嫌だと思った時が無い。更には、だいふくに来ると体重が増えた。楽しみも増えた。
ケアマネさんも沢山増えた。
主任の仕事を任せられている民ちゃんとは、色々話しながら楽しく出来ることも心から感謝しています。
ここで出逢えた方達には、本当心から感謝ばかりだと繰り返す山口ケアマネ。
会社に行って、おおすのみんなと逢えることがとにかく楽しい。分からないことを聞ける体制がとっても嬉しい。おおすで、ずっと癒されると、とっても素敵な笑顔。
この先、この福祉の仕事以外やれないと心から感じたこの出逢い。
あの日の『ありがとう』あの時出逢えた『ありがとう』に心から届けたい、私からの『ありがとう』
中学生で福祉との出逢い。そして20歳から積み上げた福祉の経験値。まだまだ体制が整う前の介護保険制度での経験値。
何度も想う。自分が通ったあの日の苦労や痛みは、新人さんには感じて欲しくないと言う、強く優しい想いを沢山感じた時間。
私も大切にしている『ケアマネ冥利に尽きる』の言葉。
そんな時間をこの先も創り続けた時、このケアマネの仕事には、夢ばかりだと改めて感じることが出来た、山口ケアマネの笑っていいかも❗️
本当貴重な、素敵なお話をありがとうございました。
お時間になってしまいましたので、次なるお友達をご笑介していただけますでしょうか。
はい。次のお友達はこの方です。西脇さんです。
あら!何故西脇さん?
何度も言う通り、だいふくに入った時、西脇さんも優しく受け入れて下さったことで、本当働きやすかった毎日。助けて下さった毎日。
また、私と仕事の仕方が似ていたと言うこと。
なるほど。それでは西脇さん!来月来てくれるかな~
『いいとも~』
ちょっと違う〜。いいかも~❗️です。
あっごめんなさい。
それではもう一度。来月来てくれるかな~
『いいかも~』
中学生から決めていた自分の進路。あの日からひとつも変わらない自分の進む路。たった一度の自分の人生。時間を大切に楽しむこと。一切変わらないこのスタイルは、多くの方達に勇気と希望を与え、返ってくる言葉は沢山の『ありがとう』でした。この仕事と出逢えて本当良かった。この仲間達と出逢えて本当良かった。こうやって心から感じられる今。この言葉で締め括りたくなる。これぞ『ケアマネ冥利に尽きる』こと。と言うわけで、これからも
笑って〜
🖐️🖐️🖐️
いいかも~
🙌🙌🙌
※山口ケアマネ応援ソング Aぇ!groupさん
『Hello』
ずっと変わらない熱い気持ち。福祉の道をブレることなく極め続けている美保さんだからこそ、人を惹きつける安心感。これからも美保さんらしくね。
編集なぎ