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この写真。2014年10月5日。
通夜が終わってから、朝まで仲間と飲み明かした、親父との最後の夜でした。自分から飲もうなんて一言も言って無いのに、みんながとことん付き合って下さった日
悲しみのどん底。運良く自分がドナーとなり、骨髄移植で救える命が、救えなかった時。でも後悔は何もなく。
『せがれの血で死ねたら本望だ』
救われた言葉。ただ父の死。63歳の若さ。
悲しみのどん底。やっと笑えた時でしたね。それはみんなの気持ちで救われた、あの日あの時間。
明日の仕事は大丈夫か?そんな事、明日考えるわ。心強かった言葉が飛び交う。外は台風で大嵐。それなのに、仲間が仲間を呼び、気が付けば大宴会。次の日の告別式なんて、みんな顔パンパン
大嵐の中、父の為に集まって下さった仲間。もう会場に入りきらなくて。親父って凄い男だったんだなって。とことん感じた夜。人生で、一番頭を下げる事が出来た夜。
喪主として、親父と決めた約束事。俺の葬儀は盛り上げろ。俺が亡くなったら、ここに連絡してくれ。父の為に、400人の仲間達。
今でも思う。盛り上げた。今でも思う。やり遂げた。今でも思う。仲間の大切さ。
約束を果たした時。
最後の喪主の挨拶で、拍手を皆さんがして下さり、心震え。親父の遺影を見て、どうだってね。
そして、やっぱり仲間の力。
悲しい時、この仲間で救われた。
この通夜の日、子供達の保育園運動会で。準備で抜けられない。子供達は休みたく無い。そんな時に、のりさん代理パパ、今さんカメラマンでお願いしたんです。
父が亡くなって、のりさんと今さんにそのお願いをした時、初めて泣けたんです。一気に涙腺崩壊。
お2人のおかげで、子供達は保育園の運動会に参加出来て感謝ばかり。娘は保育園最後の運動会で。
もう有名な話。代理パパの活躍。メールでバンバン入るんです。代理パパがすごいよーっ!って。泣けましたね。
そんな悲しみのどん底で、救ってくれた仲間達。
そんなカメラマンをしてくれた、後輩の今さん。お父様の訃報。
次は先輩の出番。
あの日の父の通夜10月5日は、今さんの誕生日だったのです。そんな大切な誕生日を。急遽変更して、朝まで先輩の傍にいてくれたんです。
そんな後輩に、先輩としてやれる事。
親父さんが大好きだったというお酒。今さんはあまり飲めないけども、その分、先輩達が付き合える。
最後の夜。時期が時期だけに、飲み明かす事は出来ないけれども、短時間に想いを込め
小林社長の時も同じ事をやり、今でも話に上がる。とにかく元気貰えたと。
飲みながら、親の存在に感謝して、親の凄さを実感して。
そして、必ず挨拶の話となる。またこの時の想い込めた言葉は、心に響き渡るのです。挨拶はカンペなしでやる流れが、小林社長に続き、今さんに続き、勝手に引き継がれている
ありのまんまの想いを、参列して下さった方々へ伝えたいと、しっかりと挨拶した後輩。
奥様も、そんな夫がカッコ良かったと。やはり、式が一気に締まるもの。お父様。自慢の息子さんですね。
そんな大切な後輩と出逢えたのは、お父様のおかげ。みんなで『ありがとう』
天国でも、宝の山で過ごせます様に
大きな福で、包まれます様に
二日酔いになったら、ソルマックでスッキリして下さい
飲む前にはヘパリーゼで、胃を大切にして下さい
うちの親父と、天国で沢山飲み明かして下さい。お酒大好き同士🥃
お父さん。ありがとうございました。そして、息子さんを見守っていて下さいね。
必ずいい事が起きる雨降るスタート。あの日とおんなじ大雨ですね
なぎ