2020年最後の日。
この一年も、色々な事がありました。色々な経験出来ました。こうやってチャレンジ出来る背景には、やっぱり思う事。
生きたくても、生きられなかった、とにかく仲間達から愛されて、大好きだった親父の存在。
『70歳までは生きたかった』
骨髄移植でしか生きられない身体となり、運良く息子の自分がドナーに選ばれたのです。
その日から、仲間達と作り上げた、親父へ贈る血
たかだか一本の注射で、本当に落ち込んでしまっていた私が、親父の為ならと、大っ嫌いな針を何十本刺されても、まだまだ何でもやって下さいと、自分の変化に自分が驚いた程。
骨髄移植前のカンファレンス。多過ぎる参加者のカンファレンス。仕事柄多くのカンファレンスに参加しているが、これ程までのカンファレンスがあるんだと、驚いたもの。
その時父が担当医に伝えた言葉。
『せがれの血で死ねたら本望です』
本当に死んでしまうなんてね。
悲しみのどん底を味わえた日。もう命の火が消える時、絶対に忘れない様に、父と約束した日。
その約束を絶対に忘れない様にと、痩せ細ってしまった親父の手を久々に握りしめ、震える手で記録に残した一枚の写真。
2014年親父最期の日。
63歳の命。生きていたら来月で70歳。
あの日の約束、全部守っています
夜景の綺麗な場所で、9月3日7時9分。大切なメンバーで設立祝い。
そしてちょうど一月後の、10月3日に天国を選んだ父。
やりたい事ばかりの中、やれずに死んでいってしまった姿は、自分達に火をつけた時でした。だからこそ、大好きな仲間達とやりたいは全てやっていく。そして仲間達の背中を押していく。
2020年大福丸
どんな嵐でも、仲間と共に乗り越えてきました。荒波で転覆しない様
2021年大福丸は
より強靭に。
より丈夫な、大福丸にみんなを乗せ、また大海原へ。
でも思い出します。
骨髄移植のドナーを経験出来て、親父は生きるか死ぬか。半分の可能性にかける。大好き過ぎる人が、せがれの血を信じて、ダメならダメでそれが本望だ。
そんな勝負に、迷い一切なしで言いきれるのですから。どこまでもカッコいい親父です。
そして今いないのです。本当悲しいを飛び越えて、悲しすぎた経験が出来ました。
『せがれの血で死ねたら本望だ』
この言葉を残してくれた事が、本当に感謝出来る日々。そして、いつ死んでも後悔だけしない様に、来年も仲間達と共にやり遂げる。
よく思うのです。どんな挑戦しても、父の様に死ぬ訳じゃないって。そして、やらずに死ねるか。
命をかけて闘う。まさに父が見せてくれた生き様。もし、父と同じ状況になった時、私は命をかける挑戦は、出来ないかもしれません。そんな勇気はないと思うのです。
そんなレベルと思えば、自分達の挑戦なんて、何でもやれるし、例え悩む事があるのならば、父が背中を押して下さるもの。
昨日も応援してくれてました。
とにかく満月が大好きな親父で、お店の屋号に月を入れていた程。
やりたいは形に。でも今年ひとつやり残した事。
コロナで延期となり、大好きな方達に、大好きな場所で伝えたい言葉を伝えていません。
簡単には叶えてくれないからこそ、より燃えるもの。企画の延期だけでは、何だか勿体無いので、更にレベルを上げて、伝えたい言葉を確実に形にして。
叶える為に、さあ
大海原
来年も沢山笑って、『笑う門には大福来る』
初心よりもゼロに戻って
心機一転
そして
この一年は、誰もが忘れられない一年になった年。だからこそ、難が有り過ぎて、有難うがとにかく増えた一年でした。
何度も何度も『有難うございました』そして毎日こんな拙いブログを1年間。
心込めて『有難うございました』
2021年も、より素敵な一年になります様に⛵️
草なぎ