この日になるといつも思い出します。
人生って儚いんだなって。そして元気に生きていられる事って、本当幸せだなって。
今5時14分。
8年前の今、病院に居た事を思い出します。
今日が山ですと。一旦妻と家に帰り、寝てるのか寝てないのかそんな夜でした。
朝4時過ぎ。鳴って欲しくない一本の電話。妻と飛び起きたものです。思った通りの内容でした。
まだ小さな子供達を起こして車に乗せて、飛んでいった総合病院。
父が闘病生活からやっと楽になれる時。
はじめてみんなで入れた無菌室。
久々に触れた父の温かさ。
忘れもしない子供達や甥や姪の驚いた姿。
浮腫んでパンパンになった親父の姿。
手足お腹まで縛られた抑制帯。
頑張ったなって、外せば最後の最後まで無意識に外す酸素
もういいよって。なあ親父。そんな時間。
みんなで苦しんだ闘病生活。日が昇ってきた今も、あの日とおんなじで、こんな寒さでこんな空でしたね。
そこで生きている親父に誓った事
それを今も実行してる。
みんなもずっとベットで寄り添っててくれて。母の言葉に夫婦って最後こうなんだって。
あれだけ文句言ってたのに、お父さんよく頑張ったね。もういいよ。ありがとうね。
繰り返す母に、なんだかんだ言ってもこれが夫婦なんだなって。
自分は一人食堂に行き、ぼうっとして。
冷静になろうとしてて。そして姉からの電話。戻ってきてと。
8時に部屋に戻ると、呼吸も今までとは違う。
そして8時22分。ご臨終です。
泣き崩れる家族の姿。でも母は凛としてて。
さあやろうか。ここから葬儀の準備を、2人で始めるのです。父との約束をやる時だと。
『俺の葬儀は盛り上げろ』
この言葉があったからこそ、泣き崩れる余裕なんてなく、後悔だけはしたくないからと、徹底的にやったものです。
仕事人間だった父。そんな父が大好きだった職場の近くの葬儀場にして。
一斉に連絡。みんなも言葉が詰まるのが分かるのです。仕事も休む為に、後輩達にもお願い事ばかり。
人を集める事が大好きだった父親だけに、一番大きな葬儀場。
その日は娘と息子の保育園運動会で。妻は親がいけないから休ませると。
楽しみにしていた運動会。娘は保育園最後の運動会。
行かせて欲しいと。分かれた意見でしたが、私がお願いしました。
のりさんと、後輩のズミさんに電話して、変わりに行って欲しいと電話したのです。
のりさんとズミさんの、心強い俺に任せとけ、僕に任せて下さい。この言葉に、父が亡くなり絶対泣かなかった涙が、何故か一気に溢れたものです。
保育園へ送った帰りに父は息を引き取り、妻は今でもその事だけ心に引っかかる事。その話も出さないように8年間してましたが、やっとこうやって言える事。
この私の気持ちは、他の形で返していくだけ。
そして参加出来た運動会。
送られてくる写真に、良かったなって。そして何よりも嬉しかったこの写真。
代理パパの大活躍。カメラマンズミさんの大活躍。
保育園最後の運動会は、子供達は小さな飲み物。親はラムネ一気飲みが恒例行事。このラムネの一気飲みが早いと、とにかく運動会を盛り上げられるのです。
ずっと親の私達も練習をして、仕上げていたところ父との別れ。
練習何一つしていない、のりさんが凄すぎて、代理パパが凄いよ!のメールの嵐。
ありがとなって。そんな時会場の準備に追われ。父との約束事
次から次へと花が届きますと担当さん。会場全てを囲み、廊下まで続く花の数。父の言っていた事はこう言う事かと、思い知らされ。
父が、大好きなお仲間さんへ届け続けた沢山の愛は、最後私達家族まで、沢山の愛で満たされて。
俺の葬儀は盛り上げろのあの日の言葉。愛してくれた人へ、お前が俺の代わりにありがとうを伝えてくれ。そんな想いで話そうと決め。
担当さんが何言おうが、自分らしく。
そんな通夜告別式は、忘れもしません。人が何言おうが、やっぱり自分らしく。それでいいってあの日から特に思っている事。
そんな事を沢山教えて下さった命の教育。
凄いものです。
そんな父の命日。
毎年、三さんと、栗さん夫婦がお供えを届けて下さるのです。この温か過ぎる思いやりに、本当凄い方達だなって、心優しくなれるものです。いつもありがとうございます。
そして、この日が来ると、元気に生きていられる事だけで、もう本当十分だなと毎年感じます。人を裏切ったり、人を悪く言ったり、人を傷付けたり、人に嘘をついたり、人を妬んだり、人を騙したり。勿体無いよって特に感じる日。
そして何よりも、沢山有難うと思える日。人生で一番、有難う御座いましたとお礼を言った日。
7時。今外で花火の音。あの日とおんなじ運動会なのですね。
いつも本当に
『ありがとうございます』
本日も、大切な方とより笑顔多い1日となります様に👋
なぎ