一日でも生きたい『大切な人』
何としてでも生きる為に、あらゆる可能性みんなで信じて。
そんな姿から、いつも父親と照らし合わせてしまう。
父親の時、生きる為に骨髄移植しか無いとの事で、ドナーを探したあの日。
待てど暮らせど、なかなかいませんでした。そんな中、型は全てあってなかったのですが、一座不一致で私と姉が移植出来る血だとなり、父親が喜んでいた顔が忘れもしません。
しかし私。実は驚く程、恥ずかしい程、針が嫌いだった過去。小学校の時、私の地区だけなのでしょうか、鉄砲注射と言うものがあり、体育館で列になり、鳴り響く機械で、打たれるあの瞬間が恐怖で残っているのが一番の理由。
同じ針で打ってた記憶。今では驚きの事。そんな事ありえないと未だに言われますが、確かな記憶と覚えているもの。
あの日感じた恐怖のおかげで、健康診断やインフルエンザ予防接種があると、1週間前からため息を出していた程
しかし父のドナーに選ばれて、親父が生きるか死ぬか、生きる為に本気で生きていて、身体中針まみれで、何小さい事でビビってるんだって、とにかく情けなく思えたもの。
あの経験から、毎朝刺される針にも、何でもやって下さいと度胸がついたもの。父親の生きるか死ぬかの恐怖と思えば、本当小さな自分が情けなく感じたもの。
笑顔と言うものを意識したもの。父の命から教えて頂いた、この笑顔の力。
1日でも生きたい。大切な方の存在。
生きたい。本人だけじゃなくて、みんなも生かせたい。強く想っている事。自分含めて、みんな暗い顔になりやすいけれども、やっぱり笑顔の力。
例え余命を知らされても、みんなで諦めなかったケースで今も生きている。そんな話を聞くと、やっぱり夢は捨てたものじゃ無い。
笑
う
笑い続けて、病気が完治してしまったなんて当たり前にしていきたいもの。
55歳で1年の命。父親があの日言った言葉をよく思い出します。笑っていたら必ず治るんだ。
とことん無理して笑っていたのを、後々同じ病気で苦しむ仲間達に作った本で知るのですが、実はひとりの夜中は泣けて泣けて仕方なかった。でも笑って笑って。笑う様常に笑って。とことん笑って。笑え。笑え。笑え。
あの時、誰もが諦めた命を、完全完治して帰ってきた事。カッコ良かったもの。こんな生き方がしたい。今大きく影響うけているもの。
そこから亡くなるまでの8年、人の為に本気で生きたその姿。息子と飲むと、毎月カウンターで親子飲みしてくれたその姿。
仕事一本で、正直小さい頃父の愛を感じた思い出がそんなになかった私も、あの8年で父親と言う役割はこれなんだと、今に生きているものです。
そして今夜久々に、そんな親父の背中と同じ貫禄の方と、いつものカウンター飲み。
今私達がやれる事。まだまだあり、まだまだやれるものです。
本日も大切な方と、より笑顔多い華の金曜日となります様に👋
隠れエール
まずは自分が
笑おう
なぎ