大きな借り入れをして、大きな挑戦をする姿を見ていて、怖くないの?
そりゃあ自信ばかりだから、へっちゃらだよ
って言うのかな。そう思っていると、意外や意外、当然びびっているよと言うのです。
へえ意外。
その社長さまと自分を比較すると、自分の挑戦なんて豆粒以下。それでもいつも挑戦する時は、弱い自分に挑み、弱い自分と戦っている。みんな同じなんだな。
そんな挑戦よりも、きっともっと大きなスケールで戦っているのだろうなって。
見た目いつも余裕な顔して笑っているからこそ、全然へっちゃらと思いきや、驚く程の失敗をしては悔しい経験を山程している。
大きなことに挑戦すると、顔には見せないが実は驚く程びびっていたなんて、初めて知ったこと。
そこまでしてやらなきゃいいのに。そんな言葉にも、弱い自分がとにかく悔しい。手に入るまでやり続けていきたいと強い言葉。
それが自分らしさだからと、決めた自分の目標を一切曲げないスタイル。人の言葉にブレている様であれば、確かにその程度の想い。想いが強いからこそ、何言われても突き進む姿を見せられる。
やはり想いの強さが熱量の大きさとなり、その想いの強さに人が集まり、カッコいい姿をずっと見てきたのです。大きなことへの挑戦に、びびりながらも挑戦し続ける。それは弱い自分に勝つ為。
その経験の繰り返しから、器も変わっていくのだろうし、スケールの違うあの方達の様になっていくのだなと繋がったのです。
そんなスケールの違う方達に、私の相談をすると、同級生が話すアドバイスとは、全て真逆のアドバイスばかり。驚きの回答に、とんでもなく自分が小さく見えると同時に、何を悩んでいたのだろうと思い知らされる。
人の器の大きさやスケールの大きさって、挑戦の数だったり、挑戦には大きな壁は絶対つきもので、そこで乗り越えた数だったり、そこでの経験値だったり、そんな繰り返しが、器のステージが待っているのだなと。
そんなステージと言う階段を昇ることで、見える景色だったり、アドバイスだったり、言葉の重みが変わっていく。
そう思うと、後輩達の背中をしっかり押す為には、もっと挑戦をしながら、もっと壁にぶち当たりながら、その都度壁を昇り経験値を積み、器のステージをせめてひとつくらいは昇りたいもの。
遥か先にとんでもないステージで笑っている方達がいますが、その方達も皆さん通った道だからこそ、いつも全力で応援して下さるのです。しかし器のステージ。一段が遥かに高い🤭そして大寝坊😝駆け抜けろ自分💪
本日も心わくわく。行ってらっしゃいませ。
18.見ている人は見ているよ 詩人ぴさし
なぎ