骨になり再会したなおき。奥様ありがとうございます。
仕事人間だった彼が喜ぶ場所、パソコンカバンにつけて昨日から連れ回す。
興味津々で中を見てみると、なおきだからと特別な色でもなく真っ白な綺麗な骨。
おまえかっこいいじゃんといえば、気持ち悪いわと即答だったのに、今は何も言ってくれない小さな骨。
元気があれば何でも出来る
なおきがよく言っていたこと。
動けて羨ましい。本当羨ましい。動かないなら俺と変わって欲しい。
会う度に聞いた言葉。なおきのエールだと感じたこと。
思ったら即動いた人間が動けないこと。
優しい少し高めの声で
『な⤴️ぎ⤵️さん』
彼だけはいつも発音が違って印象的だったこと。
『なぎさん俺本当に動けなくなっちゃったぁ。情けないよぉ』
俺は後悔なんて何も無い。外ではそんな言葉を沢山耳にしましたが、この言葉こそ動きたくても動けない悔しさだったと感じたのです。
同時に動ける自分が、どれだけ恵まれているか。
トイレに行きたい。今、歩いて行ける。誰にも見られることなく排泄出来る。
これってなおきからしたら、どれだけ羨ましかったことでしょうか。
当たり前じゃ無いことばかり
ちょうど10年前。親父の骨髄移植のドナーになった時、隣でつきっきりでいて下さった看護師さん。
1人で大丈夫ですよと言うのですが、何か急変があるといけませんからと、常に隣にいて下さったのです。
トイレ行きたかったら言ってくださいね。
とっトイレ?この状態で行けるのですか?いやいやシビン持ってきますから。
若い女性に絶ぇーーーーーー。ふぅ。ひと呼吸。ぜぇ!ーーーーーーーったいイヤっ!
ちなみに便の時は?そんな話も聞いてみたのです。ご安心下さい。全てやりますよ。
どれだけお腹壊したって、何が何でも耐えてみせる。絶対耐え忍ぶ。心から思った懐かしい記憶。
そんな状態を、22日年下のなおきはお願いしていたこと。
教えられます。あれだけ思ったらすぐに動き、いつも偉そうにしてたなおきから出た言葉。
『羨ましいよ』
一度きりの人生
元気過ぎた親父が亡くなった時。なおきの亡くなった時とよく似た感覚になったのです。
あれだけ動き回り、常に中心に居ていつも元気だった親父となおき。
そんな人でも死んじゃうんだ。なおきも親父もバリバリ大活躍していた時。親父63歳。なおき47歳。
いくら活躍していていくら元気でも、人はどこでどうなるかなんて絶対分からない。
そう思った時に、絶対にやりたいはやらないといけないし、自分の選択肢には死ぬことは無いと教えられたものです。
何よりも動けるのです。
やれない不安が言い訳になり、無理矢理やらないにはめ込み逃げ続けていた、単独居宅の挑戦。
親父のきっかけが無かったら、今も動けることが出来ずモヤモヤいいないいな。間違いなく笑顔は半分以下。
もしかすると、同じ想いで動いていたなおきに嫉妬したかもしれない。勝手に大嫌いだったかもしれない。やれない自分を正当化してアンチになったかもしれない。
またこうやっては出逢え無かった人。
想いが全く同じで、その日に意気投合したのも、あの日人生一度きりだと、親父に背中を押されたからこそ出逢えた人なおき。
後悔はない
動いて失敗はしても後悔はない。失敗はやり直せる。動かないとずっと後悔。後悔はずっと後悔のまま。
なおきからまた教えられる。
そして今夜は満月なのですね。
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
ボスひでが率いるチームもとやまの黒瀬さん、河出さん、高見さん、和田さん、タカ、船戸さん。だいふくスタートの全てを知っているひらばりボスのりさん、山田さん、田名瀬さん、小林さん、足立さん、武中さん、大西さん、主君、西脇さん、西田君がいたからこそ、届けられる笑顔砲まで、残りいよいよ5日(^∇^)
なぎ