50代も半ばを折り返し、元気に好きな車に乗れる年数を考えたら、やりたいはやっておきたい
そんな旧車仲間のワーゲンバス。
小雪舞う中のドライブ。暖房なんて効きもしない。コート着て革の手袋してても、凍える寒さ🥶
人生をとことん謳歌しているひとり。
そんな旧車仲間と向かった先は、ダンディなおやっさんが待つ場所へ。
お逢いした瞬間
『もう私も70になりましたよ』
その言葉から、父がたった一言だけ、弱音を吐いた言葉を思い出したのです。
『せめて70までは生きたかった』
おやっさんの元気な姿を見れたのは半年ぶり。
と言うのもコロナに感染し、99.9%生きる事が出来ないと言う医師の言葉。運良く生きられても、寝たきり車椅子生活。
実は、そんな言葉を家族は聞いていたのです。
しかし、入院前より元気になって退院してしまうのです。
ECMOを使用し、全身管だらけの身体に、周囲はみんなもうダメだろうと絶望の中。しかしたった一人だけは絶対に諦めなかったのです。
三途の川も2回も見たと言う。酸素は8ℓ流したと言う。毎日水の中で溺れている様だったと。本当に苦しいを超えて苦しかった日々。
苦しくて苦しくて、とにかく呼吸が出来ないのは苦しかったと。しかしどれだけ苦しくても、絶対諦めない。
自由に動かない身体がとにかく悔しくて、いつも『このやろう〜』心の中でそんな自分に何度も何度も繰り返したと言う。
生きてやる!例えみんながダメだと思っても、医師がダメだと言っても、ただひとつ。俺は死ぬ訳にはいかんのよ。
社長としてやりたい事がまだまだある。やらなければいけない事がまだまだある。
たった0.1%の可能性にかけて。100%死ぬのでないのなら、その0.1%にかけてやる。
水の中に溺れている感覚で、生きるか死ぬを彷徨いながら、酸素を8ℓ流す事で、普通なら苦しい数値が、血中酸素飽和度が80%が楽に思えたと言う。
とにかく俺は生きてやる。
生きたいと言う強烈な思いが流れを変えるのです。数値が90%となり、呼吸も少しづつ楽になり、酸素なしでも生活出来るまで回復。
しかしその後は過酷なリハビリ。1年半かかると言われたリハビリも2ヶ月で結果を出す。
この病院で1番リハビリを頑張ったと言われる程、動かない自分に『このやろう〜』
とにかくリハビリに明け暮れる。死ぬわけにはいかんのよと、がむしゃらにリハビリに取り組み続け。
生きてやる!ただただ、俺は生きてやる。この気力こそが、今生かされた命だと何度も繰り返される。
諦めたらそこで終わり。どれだけダメだと言われても、自分だけは何が何でも絶対に諦めたら終わりなんだと。
そして見事退院となるのです。退院の時7人の看護師さんが見送って下さったと。3人の看護師さんが涙で見送ってくれた事が忘れられない。
それは、この病棟から退院した方は久しぶりの事だったと。私達も頑張っただけに嬉しかったですと、涙でお見送りしてくれたと言う。
あの日『せめて70まで生きたかった』私も同じ状況なら普通に言う言葉。でも今回のおやっさんの、俺は生きてやるんだ。強い思い。
医師が無理だと言おうが、周囲が諦めようが、おやっさんの生きてやる強い思い。
入院で17キロ痩せた身体も、入院前より元気な姿。完全元通り以上に、前より元気になりましたよの言葉。
おやっさんの絶対諦めない気持ち。今後の生き方に大きく刺激をうけました。
諦めたら終わり。目の前でノンストップで笑って話し続ける姿見て、命も勿論、人生色んな大きな壁一つひとつ。全て諦めたらそこで終わり
人一倍強い気持ちで諦めなかったら、確実に乗り越えられるを教えて頂きました。
好きな人の為。好きな事の為。好きな物の為。好きな時間の為。絶対に死ぬ訳にはいかんのよ。
カッコよ過ぎるねおやっさん。退院おめでとうございます。
そしてやりたい事やり抜き、走り続けるその姿カッコ良すぎます。
本日も大切な方と、より笑顔多い華金となります様に👋
ショックな出来事編 犬のふく。腰を振り過ぎて、小さい体に大きなでろ〜ん。顔はうっとり目はうつろ。パパふくがおかしいっ!焦る子供たち。そりゃそうだ。凄いでろ〜んなのだから。そんな事より、大人の階段を登り切ったギャップに戸惑う父。
なぎ