45歳になったあたりから、驚く程みんなが真似する言葉達。
老眼になった。あまりにも増えた事。この45歳と言う歳は身体が一気に変わる。
続いては同級生のご両親が
体調を崩した。この言葉もとにかく増えた事。同級生が45歳と言う事は、みんなのご両親も70歳近いか超えている。
この私たちの仕事がやっと同級生に認知され始めてきている。お前の仕事がやっと分かったわと。
どんどん変わる身体に、考えも変わってくる。残りの人生をとにかく考える様になる。
春になると桜が咲く。年に一度必ず咲く。いつもすごいよなと思っていましたが、同じ様に、身体もしっかり45歳で変わる。
考えは変わらないのに、身体はしっかり変わる。人生は一度きり。とにかく身体が教えてくれるからこそ、一度きりの人生笑いたい。
昨日同級生の一人が、お母様のガンが進行しているからと、笑わせる会を企画したと言うのです。
この企画をする優しさ。家族みんなを集めて、息子さんと妹さんの旦那様が寿司職人。
そしてこの大きな魚をお父様が捌くのです。
私も何度も会わせていただいたお母様とお父様。遊び心が並じゃ無い。会った時から、こんな親父になりたい。こんな親でありたい。一目惚れしたご両親さま。
そこにお孫さんや子供達が集まりたくなる場所。そして笑わせる会。
みんなで笑顔にする為に企画する。笑顔って本当にすごい免疫力。その免疫力を経験したのが親父の時。
55歳の時、父親が健康診断で告げられたステージⅣ余命1年。この日が無ければ、笑顔にここまで拘っていない。
そして父親が63歳の時、また別の病気。次なる病気に勝つのは骨髄移植。父親の骨髄移植のドナーとして私が運良く選ばれて、自分の笑顔で作った血を父親に移植した時、父親はもがき苦しみ天国へ。
そこで強く思った事。笑いがもっともっと足りなかったなって。もっともっと笑って血を作っていたら絶対に変わったはずだ。
その日から特に、遊びも仕事も全て笑顔に拘っているのは、笑顔の力は最強と言う事。
しかしステージⅣ余命1年。そんな事言われると、経験のない私は勝手に諦めてしまった言葉。しかし父親だけは違っていたのです。
笑顔で治してみせる。笑顔は笑顔でもとことん笑顔。どれだけ心の底から笑うのか。人を笑顔にするのが得意だった父親だけに、自分の事も笑顔にする企画は得意中の得意。
沢山病室でもみんなを笑わせて、そして自分も大笑い。見事完治した時から、自分に猛省。
笑う力で、自分の免疫力って急激に上がるんだなって。父の命の教育から、自分もおかげでとにかく元気。
昔なんて熱が出ると1週間は熱を出していた身体も、今は1日休めば完全復活。
笑顔の力は並じゃ無い。笑顔は笑顔でも心から笑う。心の底からどれだけ笑えるか。笑えば笑うだけどんどん悪い奴は絶対消えていく。これは父が笑明した事実。
素敵な親孝行。笑わせる会。
私も大切にしたいものです。
しかし孫がやりたいと言う、身体を使う笑いに付き合わすのは、母はもう限界かな🤣
本日も心わくわく🫶いってらっしゃいませ✊
隠れブログ④透明の歯形をはめるのですが、痛くて痛くて。また喋りにくい。でもこれで良かった時、また笑顔が増える企画に仲間入り出来る。しかし痛い。しかしおかげで色んないい事に繋がっていくのです(´∀`)
なぎ