『毎月息子と飲みたい』
余命1年の診断を見事克服し、俺は生かされた命だと、親父が決めたことは息子の私と毎月飲むと言う想い。
8年続いた。この日が最後の飲み会。
移植前最後の飲み会は、ドナーになれた私の血を採取した後のこと。お父さんの為にありがとなと、親父常連の焼肉屋さんでのこと。
この日のビール。ずっと禁酒していたことと、やっと終わったことでかなり酔った夜。子供達との夜のジョギングも全て終わった日。決めた食事管理も何もかも終えた日。
自分の身体は父親の為。毎日毎日、親父の命の為に創り上げた自分の身体でした。
今なら笑顔の為に、生活スタイルを変えることなく、華金はお酒を身体に入れるでしょうし、沢山の笑顔の為に間違いなく動く。
しかしこの時は、身体をストイックに健康的にした時でした。2ヶ月近く実は怖くて不安な状態。心は全く笑っていない時。
この親父と最後の飲み会も、とっても楽しかった思い出。
久志の血液となり、お父さんは新たな人生送るでなと親子で語った夜。そして酔って実家に帰ると、飲み過ぎだわと心配する毎度の母の声。
振り返ると、この企画を始めてくれた時は、気まずかったスタートも、8年後はとても居心地良かったこと。
いろんな知らない世界や、人との付き合い方を学んだ大きな時間でした。何よりも亡くなってから今日まで、ずっと親父に感謝し続けているのは、親子飲みがあったからこそ。
親子時間
私も小さい頃の子供達をあまりにも知らないのです。迷惑ばかり😅全て妻に任せて何もやらず。
子供達が通う、小学校おやじの会に勇気出して飛び込み、とにかく言われた言葉が、なぎちゃん大丈夫?😅反省ばかり。
後輩達と仕事が出来るようになると、時間が作れる様になり、一気に感謝の日々。
コロナが明けた頃から、やり残した子供達との時間。あの日の親父からの学び。
初めた頃娘が言ったのは、気まずっ。父親の自分も気を遣った雰囲気だったこと。でも今大きく変わったのは、親子時間が楽しいのです。
これまで出来なかった時間。私自身、親父と2人なんて耐えられなかった時間も、本当幸せだった時間。
取り返せること。そこを教えられたこと。
春休みで家にいる娘にどこ行きたい?一蘭に1度行って見たくてさ。いいじゃん👍
昔と違い、今は本当楽しそうなのです。それは親の自分もそう。息子は毎週ダンスの迎えでの親子時間がまた楽しいのです。
その時はやってくる
挑戦した頃は、1人で誰にもお願い出来なかったこと。
でもこうやって肩を並べて過ごせる時間。
おやじの会で、子供のこと何も知らない自分は、周りと比較したこと。とにかく焦ったこと。とにかく反省したこと。
でも今になると、そのタイミングは焦らなくても想いがあれば、想いを届けていれば、必ずその時ってやって来る。分かってくれる。見ていてくれる。
私と同じ様な友がいる。その友もスイッチが入ったその瞬間を見た日がある。
大きな想いがあるからこそ、いつか必ず届けられるものがあると勝手な自信ばかり☺️
本日も笑って笑っていってらっしゃいませ✊
直樹物語 4月。1年前のこの時、直樹が苦しんでいた時。直樹がとにかく刺激になるのは、ライバルの活躍だと感じたこと。自分が出来る1番のエールはこれだ。
なぎ