久々に一本の電話。
若くして昇格の話。でも自分にやれるのかを悩んでいたのです。
悩むイコール、どこかでやりたい自分がいるって事。頷く仲間。やってみたい。でも不安。その役職名も憧れる一つ。しかし年上ばかりの方達が部下になる。
そんな話をしてくれました。
私が悩んだ時、いつも背中を押してもらえるのは、父のあの日の選択。
骨髄移植。
うまく合えば、生きられる
合わなければ、死んでいく
何もしなければ、一年は生きられる
息子の血を移植をする。その選択で1ヶ月で亡くなった父。この一切迷いが無かった、父親の選択を見た時から、大きく気持ちが激変したものです。
色々ある選択肢の中で、今の自分の選択では、何を選んでも
『死なない』という事実
そう思うと、やってみようと背中を押してもらえるのです。
やった事で笑顔もあれば、悩みはつきもの。尊敬する会長様が、いつも言う言葉。その時考えたらいい。
『その時』
凄い方達の言葉があるおかげで、沢山背中を押してもらえるもの。
どんな選択肢を選んでも、私の選択には死なないと言う事。父が教えてくれた事。人生は一度きり。
時代が違っていたら、選択する事ないまま、お国の為にと死んでいった多くの命。
今の私は何を選んでも、生きる選択しかないのは、贅沢そのもの。
とにかく悲しんだ経験から、背中をどんどん押されたものです。あの日の父の選択、父の生き方から、沢山の背中を押す事が出来るのです。
不安だからこそ、背中を押して欲しい時もあるかも知れませんね。そして人生の選択につきものの悩み。
その悩みの数程、小さな事が、どんどん幸せに感じられる事が増えるもの。悲しみのどん底を経験してから、昔流行った歌の歌詞をよく思い出すものです。
何でもない様な事が幸せだったと思う。あのロードのワンフレーズ。
でも欲張りな生き物で、月日が経つと、人と比較してあれいいなこれいいな。そして命日が来るたびに、あの日の気温や秋の空。全てがあの日に戻れて、あの日は今こうやって生きてるだけで、本当幸せだと感じたなと、一瞬であの日に戻りまた一年。
あの時、子供達がまだ保育園で、朝の送迎をして出勤していた時代。言う事聞かない、子供達の送迎だけでもとにかく大変で、いつもイライラしていた私
父の闘病生活から始まり、骨髄移植への恐怖、みんなで作った血、そして骨髄移植。もがき苦しむ姿、どん底の悲しみ、男同士最後の約束、刻んだ一枚
最後は葬儀、火葬。全ての手続きが終わってからと言うもの、『元気ならばいいじゃないか』と、言う事をきかない子供達の姿さえ、幸せに感じたのは自分自身驚いたもの。
死ぬ事のない選択肢。本当元気があれば何でも出来るもの。本当どうにでも出来るもの。
楽しんで下さいね。
そして、もう一人のチャレンジャー。いよいよ今週ですね。
色々考える時。だからこそやっぱり
自分『らしく』
本日も大切な方と、より笑顔多い一日となります様に👋
なぎ